寛永通宝の大きさは23ミリ前後から26ミリ前後重さも一定ではない

ここでは、寛永通宝の大きさや重さについてご紹介を致します。
寛永通宝の大きさや重さは一定では無いんですよ。
小判金や二分判金、一分判金などは幕府が直轄で鋳造したので、大きさや重さがほぼ一定なんですね。
でも、寛永通宝は全国各地で作られ、どこで鋳造されたかが分かるように特徴も持たせたので書体だけではなく、大きさや重さまでがまちまちなんです。
そんな寛永通宝の大きさや重さについてご紹介をしておりますので最後までご覧下さい。

寛永通宝の大きさは23ミリ前後から26ミリ前後

寛永通宝は1626年(寛永3年)から約260年間に渡り鋳造されました。
1668年までは浅草をはじめ水戸・仙台・松本・岡山など日本各地で寛永通宝は鋳造されていました。
が、1668年以降は、江戸の亀戸村で幕府直轄として鋳造されることとなります。
しかし、寛永通宝や天保通宝の重要が増えると幕府は商人を雇って寛永通宝や天保通宝を全国で鋳造を許可しました。
その為、どこで鋳造した寛永通宝であるか区別する為に書体をはじめ大きさや重さが違うようになったんですよ。

寛永通宝の大きさ(直径)は、小さいもので22ミリ前後、大きいものとなると26ミリにもなります。
なかには28ミリというものもあります。

 

寛永通宝の大きさを計測

寛永通宝の重さは、2.5グラム前後から6グラム前後

寛永通宝は全国各地で鋳造された為、大きさだけではなく重さもまちまちです。
重い寛永通宝なら6グラム前後のもり、軽い寛永通宝では2.3グラム前後と倍以上も違っているんですよ。
寛永通宝の中でも盛岡藩(南部藩)で鋳造された背面に「盛」の字か極印された「背盛」と呼ばれる寛永通宝は6グラム前後の重さがあります。

 

まとめ

寛永通宝は、1626年(寛永3年)から約260年間の長期に渡り鋳造された結果、書体や大きさ、重さが違う寛永通宝からなりその種類は数百種類にもおよびます。
また、幕府は商人を雇って寛永通宝や天保通宝の鋳造を許可しました。その際、どこで鋳造された寛永通宝かが分かるように特徴をもたせました。
寛永通宝の大きさや重さは種類によって違ってきます。
大きいものでは、28ミリにもあるものがあり、多くの寛永通宝の大きさは23ミリ前後から25ミリ前後の大きさです。
また、重さも種類によって違っており、2.5ミリ前後から6グラム前後までと幅が大きい。
寛永通宝の価値は大きさや重さによって違ってくることはないが模造品や参考品もあるので購入する際は注意が必要です。

 

寛永通宝の種類や見分け方を知りたい方はこちら

 

 

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