寛永通宝の裏面に刻印された「元」の寛永通宝の価値はいくら?

寛永通宝は、江戸時代の寛永3年(1626年)から幕末まで約260年の長期に渡り鋳造されました。
全国各地で鋳造され、どこで鋳造されたか区別するために大きさや書体に少しずつ特徴があります。
そのため寛永通宝と一言で言っても数百種類以上もあると言われているんですよ。
そんな数ある寛永通宝の中から、背面に「」の文字が刻まれた寛永通宝について価値がどのぐらいあるのかをまとめましたのでご紹介を致します。

寛永通宝の裏面に刻印された「元」の寛永通宝の価値はいくら?

 

寛永通宝「元」の価値

寛永通宝は、江戸時代の寛永3年(1626年)から幕末まで約260年の長期に渡り鋳造されました。
全国各地で鋳造され、どこで鋳造されたか区別するために大きさや書体などに少しずつ特徴があります。
この背面に「元」の字が刻まれた寛永通宝も例外ではなく、大阪の高津で作られたことが分かります。
その為、この寛永通宝は高津銭とも呼ばれたりします。

江戸時代の大阪には、高津、難波、加島の3ヶ所に銭座(ぜにざ)があり寛永通宝や天保通宝が鋳造されていました。
この銭座とは、江戸時代に寛永通寳や天保通宝などを始めとする銭貨を鋳造した組織のことを言います。

寛永通宝の背面に刻まれた字の多くは、鋳造地を意味しているのですが、この「元」の字は、鋳造地を表すのではなく、鋳造が許可された年代である「元文」が示されています。
実際に鋳造され始めたのが寛保元年(1741年)です。
高津銭は発行枚数が多く種類も20種類ほどに分類されています。
その為希少価値が低く、通用銭の市場価格は300円から100円ほどで取引されています。
ただ、母銭となると、2万円から1.2万円もの値で取引されています。

寛永通宝には、通用銭と母銭の2つがあり、通用銭とは、市場に出回り流通するお金のことを言います。
これに対して母銭とは、通用銭を鋳造する時の元となるお金で市場に出回ることが無く、また、大きさや材質も通用銭とは違ってきます。

 

まとめ

寛永通宝の背面に「元」と刻まれている寛永通宝は、大阪の高津で鋳造された寛永通宝で、「元」という字は、鋳造が許可された年代である「元文」を意味しています。その為、高津銭とも呼ばれます。
高津銭の発行枚数が多い為、高津銭の価値は、通用銭で300円から100円と低いが、母銭ともなると、2万円から1.2万円もの高値で取引されています。ちなみに、この母銭とは、通用銭を鋳造する時の元となるお金で市場に出回ることが無く、また、大きさや材質も通用銭とは違ってきます。

 

寛永通宝の種類や見分け方を知りたい方はこちら

 

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