寛永通宝は、寛永3年(1626年) 水戸の商人 佐藤新助によって作られたのが、始まりといわれています。
ただ、江戸幕府公認である官銭ではなく私鋳銭であり、実際に公鋳されたのが1636年(寛永13年)以降です。
その後、明治初年迄の240余年間の長期に渡り鋳造され使用されました。
240年間に鋳造された寛永通宝は、数百種類以上あると言われています。
そんな寛永通宝の中から特に希少価値が高い寛永通宝の種類と価値をご紹介致します。
希少価値が高い寛永通宝の種類
寛永通宝は大きく「古寛永」と「新寛永」の2種類に分けられます。
古寛永は、寛永3年(1626年)より寛文8年(1668年)以前に作られた寛永通宝で仙台・浅草・水戸・松本・岡山・萩など全国各地で鋳造されていまいた。
一方の新寛永は、寛文8年(1668年) 江戸亀戸村で、幕府の直轄として鋳造されはじめました。
その後、幕府は全国60ヶ所以上にものぼる銭座(ぜにざ)での寛永通宝の鋳造を許可しました。
この銭座とは、幕府が応募し許可が与えられた請負の商人たちで、寛永通宝や天保通宝などを鋳造しました。
どこの銭座で発行された寛永通宝かを区別するために、銭座ごとに書体や大きさ、材質に特徴を持たせています。
その為、数百種類にもおよぶ種類ができたちいう訳です。
また、寛永通宝は通用銭と母銭にも分けることができます。
通用銭とは、市場に流通した寛永通宝のことで、母銭とは、通用銭を鋳造する時の母型で、通常銭と大きさや文字に特徴があります。
希少価値が高い寛永通宝の価値
寛永通宝の中で希少価値く、寛永通宝コレクターにも高い人気があるのが「島屋文」と呼ばれる寛永通宝です。
寛永通宝の背面に「文」の文字が刻まれた「島屋文」と「文」の文字が無い「無背」の「島屋文」があります。
状態が良ければ30万から25万円もの値が付くこともあります。
「無背」の「島屋文」でも3.5万円から1.5万円もの値が付くこともあります。
さらに!母銭ともなると、それら価格の数十倍から数百倍にもなり、極希少価値が高くなります。
享保期に鋳造された「折二様」と呼ばれる寛永通宝も希少価値が高く、通用銭で8万円から3.5万円もの値が付くこともあります。
母銭ともなると、15万円から6万円で取引されることもあります。
そのほか、元文元年(1736年)に鋳造された蛇ノ目と呼ばれる寛永通宝も希少価値が高く、通用銭で、3.5万円から1.5万円、母銭では30万円もの値が付くこともあります。
あくまでの上記の価値は保存状態にもよって違ってきますので、大切に保管しておきましょうね。
基本的に古銭は、少しでも綺麗なものや、状態が良いものが高く買取してもらえます。
だからといって、自身で綺麗に磨いたり洗ったりするのは止めましょうね。
逆に洗うことで価値を下げてしまうこともあるからなんですよ。
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